内閣府知的財産戦略本部に「日本におけるプロダクションインセンティブ設置」についての提言を提出しました。
内閣府リンク:http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/ikenbosyu/2017keikaku/pdf/teigen.pdf
知的財産産業とは「人」が富を生む産業です。日本が知的財産分野で国の経済を牽引し、この産業で食べていくということは、日本のコンテンツ製作環境に「新しい金」の投資を取り込み、次世代にわたり、産業を支える創作現場に質のいい産業雇用の創出と経験を生むことが重要であると考えます。またソフトパワーによるインバウンドや日本のイメージ向上など波及効果を得たいのであれば、まずこの国で継続的にインバウンド効果を生む良質のコンテンツが生まれる環境がなければそもそも達成できないものであります。
しかし、エンタテイメント産業がグルーバルビジネスになっている今日において、日本の「作る側」の製作環境は、90%以上が国内の「古いお金」によって賄われ、その「古いお金」も受注削減やクライアントの経費削減の影響を受け先細りしています。一方、国際競争が極めて激しい世界のコンテンツ投資市場において日本は「新しいお金」の獲得に失敗しています。その大きな原因は、日本に「プロダクションインセンティブ」という政府支援制度がないことによるものです。
国際フィルムコミッショナーズ協会(AFCI)によると、今世界にあるクリエイティブ産業の製作費消費市場(production spending)は年880億ドル(約10兆円)に上り、また、PwCの試算では中国やラテンアメリカなど新興市場の成長もあり、2019年には1046億2000万ドル(約11.71兆円)に到達すると推計されています。[1]
このような市場に対し、映画、TV、アニメ、ゲームなどクリエイティブ産業振興を戦略に打ち出している国や都市は、プロダクション誘致による投資獲得を実現し、この分野の産業を経済振興、雇用創出、ならびにクリエイターの所得向上、実地経験を通したスキル開発、制作インフラの成長等に繋げています。
例えば、2016年、映画、TV、アニメ分野の投資誘致先進国であるイギリスは、1994年の統計開始以来過去の製作費消費誘致を実現しています。2017年1月26日に英国公的映像機関「ブリティッシュ・フィルム・インスティチュート」が発表した「2016年イギリスにおける映画、大型予算TVドラマ、アニメ製作の統計」[2]によると、2016年の製作費誘致は前年比13%増となる15億9600万ポンド(約2266億円、£1=¥142円)で、そのうち大部分の85%に当たる13億4900万ポンド(約1915億円)は海外からイギリス産業現場に誘致された「新しいお金」になっています。
こうしたイギリスの成功の一番の要因は、今やクリエイティブ製作投資の意思決定において絶対必須となっている世界でも特に戦略的かつ潤沢な「プロダクションインセンティブ」という政府支援制度が投資の呼び水になっているからです。「プロダクションインセンティブ」とは、自国や地元都市への製作費消費や地元雇用への投資に対し一定割合を助成する制度ことで、現代のプロデューサーの資金調達のプロセス、コンテンツ投資の意思決定の部分において必要不可欠な要素になっています。
イギリスのケースの場合、もしこれがイギリス国内の「古いお金」だけで創作をしていた場合、国内の製作環境に回る製作費消費はたったの350億円になります。つまり、残りの85%の「新しいお金」の獲得こそが、国内のクリエイターたちへの質のいい産業雇用の創出、実地を通した人材育成と経験、インフラの成長、さらにはVFX、アニメーションおよびVRなどの革新的技術開発を生んでいる要素になります。
一方、こうした政府支援の枠組みの術を持たない日本は「新しいお金」獲得の国際競争に劣っています。その結果、政府調査にもまとめられているように、長年に渡り、アニメーターら産業現場で働くクリエイターたちは困窮し、この産業の担い手である次世代の若者が使い捨てで酷使されている根本的な構造問題の改善に至っていません。これは2016年3月23日発表の経済産業省の「コンテンツ関連産業指数」によると、作り手側の「制作」は下降傾向にあるというまとめや、帝国データバンクが2017年1月24日に発表した「映画・映像関連企業の業績・倒産動向調査結果」にある「制作」の倒産件数増加にも表れています。
「プロダクションインセンティブ」制度は、2016年時点のアメリカで潤沢な制度を備え、コンテンツ制作のハブを担っているニューヨーク、カリフォルニア、ルイジアナ、ジョージアを含む37州が打ち出しており、加え、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドも戦略的な支援制度を備え世界有数のコンテンツ投資の誘致国となっています。さらに、イギリス、アイルランド、フランス、マルタ、イタリア、オーストリア、ドイツ、エストニア、ハンガリー、リトアニア、セルビア、マケドニア、チェコ、クロアチア、ポーランド、ノルウェー、アイスランドの欧州国だけでなく、南アフリカ、UAEにも近年は投資が集まり、その効果が証明されています。また日本を取り巻くアジアも同じで、マレーシア、タイ、韓国、台湾に加え、2016年は中国青島市が世界最高水準に並ぶ40%のインセンティブ制度を発表しています。
このような世界競争の環境下に置かれている日本のクリエイティブ産業におきましても、自国作品の製作費レベルを上げるだけでなく、世界の「新しいお金」からの日本コンテンツ投資への文化的ならびに商業的興味の誘引し、また産業を支える重要要素である日本で働く「人」の所得向上や経験を生むためにも、既に世界のクリエイティブ産業において速効性があり、かつ有意義な経済効果が証明されている「プロダクションインセンティブ」設置は急務だと考え、ここに日本の知的財産分野で日本を豊かにするために必要な「プロダクションインセンティブ」制度設置を提言します。
[1] Filmed entertainment: Key Insight at glance
[2] British Film Institute: Film and high-end television and animation programs production in the UK: full year of 2016
日本のエンタテイメントに「新しいお金」を引き寄せるインセンティブによる効果とは
- 税収
- 国内製作環境への投資の増加
- 雇用創出
- 所得の向上
- スキル開発
- 制作インフラの成長
- 文化的発信の強化
インセティブによる日本国内のプロダクション活動へのインパクト
- 国内製作費の活性化:日本のクリエイターにとってのコンテンツ資本の選択肢の多様化、これまで資金不足で成立しなかった新規知的財産創作の成立、製作費の規模の向上、産業従事者の所得の向上、作品のクオリティ、魅力の向上
- 海外プロダクション誘致(ロケ誘致、VFX誘致、アニメ制作誘致):海外プロデューサーにとってインセンティブ制度による経済的メリットからこれまで他の国や都市で撮影または制作されていた企画を日本に呼び込む
- 国際共同製作相手国としての日本の魅力の向上:現在ある文化庁の国際共同製作助成金の使い勝手や規模は映画や世界のエンタテイメントのトレンドにある高予算TV製作の根本に規模、構造とも即しておらず、結果、日本は日本の産業に資する形の国際共同製作を日本に呼び込めていません。
税金のバラマキではない自立採算性のあるプロダクションインセンティブの構造
プロダクションインセティブに国民の税金を使うことで考慮すべき点で、一般に深く理解されていない点に、プロダクションインセンティブ制度には税収面での独立採算性が備わっている点が挙げられます。仮に20%還元助成を設定した場合、これによって呼び込まれた残り80%の「新しいお金」を含めた直接および間接消費活動や所得からの税収を見込め採算がとれるというものです。
ニューヨークの税収の例では、撮影活動に対するインセンティブへの税金拠出1ドルつき1.09ドルの税収、ポストプロダクションにおいては$1につき$0.94の税収なっています。(2012−2013年度ニューヨーク州経済開発局データ参照)
イギリスでは映画へのインセンティブへの税金拠出1ポンドにつき12.49ポンドの経済効果を創出(税収にして3.74ポンドに相当)、ハイエンドTVドラマでは1ポンドにつき8.31(税収にして2.7ポンドに相当)となっています。(ブリティッシュフィルムインスティチュート:イギリスにおける映画、ハイエンドTV、ビデオゲーム、アニメ産業の経済効果[1])
したがってクリエイティブ産業への税金拠出は決してバラマキではなく、税収面での採算性が備わっているだけでなく、日本の製作環境の強化、また波及経済効果、産業雇用創出や働く人の待遇改善、スキル開発、日本のポジティブなイメージ発信に繋がる面からも、税金を広く日本経済の振興と公益に還元できる制度になると考えます。
「プロダクションインセティブ」のケーススタディ:フランス
2016年1月1日より30%を還元する海外プロダクション向けインセンティブ制度「TRIP」を施工したフランスは、映画、TV撮影、VFX、アニメ製作への海外投資が前年の3倍となる1億5200万ユーロ(約182.4億円、€1=120円)を記録しました。(フィルムフランス発表)
2016年の増加の中にはハリウッドだけでなく、欧州、インド、中国からの誘致増加も含まれています。2017年はさらなる成長を見込み、すでに『ミッション・インポッシブル6』のパリロケなどが決定しています。
「プロダクションインセンティブ」とスクリーンツアリズム
「プロダクションインセンティブ」によるクリエイティブ産業の製作環境の強化や、作品の製作費レベルの増加は、観光へのインバウンド効果、スクリーンツアリズムの促進に繋がると認識されています。
国際フィルムコミッショナーズ協会によると、年間10億人の海外旅行者のうち5人に1人は映画、TVの影響を受けているとされ、スクリーンツアリズムの市場は2400億ドル(31兆2600億円)と推計されています。
- ドラマ『ウォーキングデッド』誘致で地方創生を実現したジョージア州セノア市の例
ジョージア州プロダクションインセンティブ:30%還元
ドラマ撮影が地元に落とす年間製作費消費:$50M(約56億円)
平均視聴者数:1500万人
観光増加によりレストラン、商店、ライブハウスなどの地元ビジネスがセノアしに移転
(参照:ジョージア州経済開発局『フィルムツアリズムで生まれ変わった街』[2])
プロダクション誘致失敗を続けることの日本の経済的および文化的損失
これまで「プロダクションインセンティブ」のない日本はただ単に世界の製作費市場の取り込みに失敗し続けただけでなく、日本を舞台にした映画、TVドラマ企画をインセンティブのある国に流出させてきました。
2016年公開のマーティン・スコセッシ監督『沈黙』は全編台湾で撮影され、その後のスコセッシ監督のインタビューで明確に台湾政府支援がインセンティブに働き、ロケ誘致を決定したと語っています。
これは製作費による経済効果、産業雇用、経験の機会を逃した損失だけでなく、外国が日本に密着した物語を「作る」実績を獲得したという将来の誘致機会における損失にも繋がっています。また、代替地で撮られる日本にはしばしば誤った日本の姿も存在し、文化的魅力発信の毀損にも繋がっています。
主な日本ロケの代替地
『パシフィックリム2』—オーストラリア、メルボルン(東京シーン)
『パシフィックリム』—カナダ、トロント(東京シーン)
『沈黙』—台湾
『Godzilla』—ハワイ
『007:スペクター』ロンドン(東京シーン)
『ウルヴァリン』—オーストラリア、シドニー(一部小規模シーンは日本)
『The Forest』—セルビア
『47 Ronin』—ハンガリー
『終戦のエンペラー』—ニュージーランド
ドラマ『ブラックリスト』—ニューヨーク
ドラマ『Zoo』—ルイジアナ
ドラマ『12モンキーズ』ーカナダ オンタリオ州
日本への投資の意思決定へのインパクト
一般的に製作意思決定のプロセスは次の通りです。
撮影地および制作地の検討
↓
ライン予算の精査
↓
コストの効率性の精査:インセンティブ制度の有無の確認
↓
撮影インフラ準備
↓
受け入れ側のクルーの規模、スキルの精査
↓
ロケーション、撮影施設の精査
↓
為替変動の考慮
↓
監督など主要クリエイティブメンバーの意向
↓
撮影許可申請や手続きのしやすさの精査
↓
現地自治体、フィルコミッション等の撮影協力の精査
↓
滞在環境の精査(ホテル等)
↓
治安や安全性の精査
このように製作意思決定に日本への投資が価値のあるものだと証明するためには、日本にいる優秀なタレント、スキル、VFX等の専門技術に加え、国際競争に勝る「プロダクションインセンティブ」の政府支援制度の質が鍵となっています。
つまり、日本においては、たとえ監督やプロデューサーが「日本が好きで、日本で撮りたい」と希望しても、「インセンティブの有無の確認」という初期の製作意思決定の段階で候補になりえない状態にあります。
「インセンティブプログラム」は、日本へのこうした数億円、数十億円の「新しいお金」の投資の意思決定への説得力を強めるもので、反対に、この制度のない今の日本は世界の製作費市場から投資を獲得する国際競争を全く戦えていない状態が続いています。
また、この分野で日本を豊かにするには、日本のコスト面の優位性のアピールが、日本で働く人の低賃金かつ劣悪な労働環境のもとに成り立つものでは決してあってはなりません。
アジアにおける「プロダクションインセンティブ」情勢
韓国映画振興委員会によると、韓国における2016年のプロダクション誘致は同委員会が統計を開始した2011年以来過去最高を記録しました。Netflixドラマの誘致などでロケ誘致は増加、VFXなどのデジタル産業においては中国の大型作品のVFXを受注するなどし、前年比80%増を記録するなど、振興デジタル配信企業及び中国等の世界の製作費市場のトレンドに対応し、「新しいお金」を獲得しています。[3]
なお、2017年においてはディズニー/マーベルの超大作『ブラックパンサー』の屋外撮影のメインロケ地になることが決定しています。
韓国:
インセンティブ:25%現金還元
主な誘致作品:
マーベル『アベンジャーズ2』
マーベル『ブラックパンサー』
アン・ハサウェイ主演『Colossal』
パラマウント『スタートレックビヨンド』
Netflix『Okja』
Netflixドラマ『センス8』
Netflixアニメ『ボルトロン』
台湾:
インセンティブ:その都度対応
主な誘致作品:
『沈黙』
『ライフ・オブ・パイ』
中国青島市/ワンダムービーメトロポリス:
インセンティブ:40%を現金還元(2016年発表)
誘致決定作品:
レジェンダリー『ゴジラ2』
マレーシア:
インセンティブ:30%現金還元
主な誘致作品:
Netflixドラマ『マルコポーロ』シーズン1、2
タイ:
インセンティブ:15%現金還元、地元雇用、観光振興への寄与が認められる場合追加5%
2017年施行
日本における「プロダクションインセンティブ」の形
プロダクションインセンティブには主に「Cash Rebate」と言われる現金還元と「Tax Credit」と言われる税制優遇があります。ここで「税」とありますが、実際プロデューサーはこの「Tax Credit」を金券売買のように第三者のブローカーなりに売り「現金化」する制度になっています。国際競争が激しいインセンティブ制度においては透明性を確保しつつ、制度が理解しやすく、使い勝手のよいものが推奨されますので、外国と税制も異なる日本にけるインセンティブ設置の形は「現金還元型」であると考えます。
また助成率においても、近隣のアジア諸国との国際競争を考えれば少なくとも20%程度もしくはそれ以上に設定するのが効果的と考えます。
[1] The Economic contribution of the UK’s Film, High-end TV, Video Game and Animation Programming Sectors. http://www.bfi.org.uk/education-research/film-industry-statistics-reports/reports/uk-film-economy/economic-contribution-uks-film-sectors
[2] Film Tourism Prompts Rebirth of a Southern City
http://www.georgia.org/wp-content/uploads/2016/02/Film-Case-Study-Senoia.pdf
[3] Screen Daily: Korean film industry exports up 82% in 2016